恐怖心から卒業したい

 昨日からの偏頭痛も引きずり、これから出社の社畜です。なにかと身体が弱いので、フレックス制度のある会社に転職してよかったです。この労働環境に加え、養老孟司さんの本で「身体は脳が管理できない自然物」だと読んでから、身体が弱いコンプレックスはかなり減りました。


こうやって「頑張ってるけど、いや、頑張ってるからなんだけどつらいな〜」って気持ちを日々つらつら書きながら生きていると、資格試験のときに作ったTwitterアカウントを思い出します。ranranhicopiというご機嫌なIDで、試験勉強の悲喜交々と生存報告をしていました。あの時も相当しんどかったけど、やっぱり書くことで冷静になったり、自分の進捗を実感できたりして良かったなと思います。


その資格を取れたからこそ今ここにいるので、その時のようにしんどいのは当たり前っちゃ当たり前なのかもしれません。でもやっぱり、なんでいつもしんどいところで頑張っているのかは不思議になります。なにが惹きつけてここに来てしまうんだろう。


高校生のとき、学校祭の前になると、ライブに備えて21時までギターの練習をして、21時から筋トレをして(ライブでステージに立つのに引き締まっていないと格好悪いと思ったからです)、22時から美術部に飾る油絵を描く、という生活をしていて非常にしんどかったのですが、勝手にこんなプログラムを自分に課してしまうような子どもだったので、その後の人生も大概同じような生き方をしています。


大学の受験生の頃は、電車の中で宿題をやって、授業中と休み時間に今日習ったことを覚えて(復習する時間が無いので)、放課後はデッサン塾、23時前に帰宅して夕飯を食べて小論文の課題をやって、また朝通学……といった暮らしをしていました。


頑張った自慢だと思うでしょう。そう思っていたのは社会人3年目くらいまでです。このノリで働いていたら鬱病になりました。一度失った体力や、20代の貴重な時間は、今は過去のものですが当時は、というか、回復して社会復帰を始めたころの自分には本当に惨めなもので、そんな惨めさは自分の知っている人には味わってほしくありません。


それで、一旦は暇すぎる環境にも身を置いたのに、なんでだかまた社畜になっています。理由なんてひとつしかなくて、ひとえに「やっておかないと怖い」からです。練習しておかないと失敗が怖いからギターの練習をするし、顧問の先生に怒られるのが怖いから夜な夜な油絵を描くし、デッサン塾の先生や小論文の先生に「あなた、これしかできなかったんですか?」と言われるのが怖いってだけです。おかげで大学受験も、新卒のときにとった資格も、オーバーキル状態で合格してきたので、言わせてもらえば無駄があります。受かることが目的なのに。


あんまり合理的な考え方をすると教養も失われるのでほどほどにしますが、そこまでやらなくても受かった人たちは沢山いました。わたしも今はただ、オーバーキルのために日々感じてきたあの恐怖心から卒業したいです。大体いつもハラハラドキドキかランナーズハイのどちらかですが、見るからに寿命を削りそうなので、ゆっくり呼吸をして心拍数を下げていきたいです。何にもなくてもいいから、怖くない毎日を長生きしたいと思うので。


でも何度、人生の節目に反省してきたって、本質的に理解できず変われていないのですが、こうやって一度文章にまとめておけば、何度でも読み返して思い出せると思います。


結局わたしは顧問の先生にも、小論文の先生にも、どんな先生にも、どんな上司にもほとんど叱られたことがなかったです。でも毎朝、毎晩、自分の想像の中でその人たちに叱られる予想をしていて怖いです。結局それって、プライドの高い自分がわたしを叱っているだけじゃないですか。本当は周りの誰も鬼のような厳しい人ではなかったはず……と思いたいんですが、もう過去のことになると思い出と妄想の区別がつかないので、今の上司や周りの人たちがそうでないと信じたいです。


……いや〜〜〜絶対わたしより厳しい人ばっかりいるんだよな〜〜〜そりゃそうですよ、ある程度、同じような価値観の人が集まっているはずだし……そんな中でも流されずに、ただ恐怖心が無くなる暮らしを作れるように努めていきたいです。もし本当に周りから叱られたときは、ここまで書いてきたとおり臆病すぎて叱られ慣れていないので、「超ショックなんだけど、どうやって自分を慰めたらいいの?」って周りの人に聞いてみようと思います。