タロットを振り返って

 こんばんは!今週末は三機さんが家に遊びに来てくださいました。それで、その時の楽しい日記はまた改めて写真を添えて書きます。とても嬉しい、お見せしたい写真があるのです。


いま書きたいのは、以前からご依頼していた三機さんのタロットセッションの話です。タロットカードをお持ちいただき、ずっと楽しみにしていたセッションが実現しました!


相談した内容はまた週末の楽しい日記の方で書くか、もしかしたら割愛するかもしれません。ざっくり言うと、自分の性格を改善したい相談をしました。


それで見ていただいた結果、行動指針としては「嬉しかった気持ちを並べてみること」、気持ちの指針としては「今までの成果を並べてみること」という感じでした。たぶんまだ上手く噛み砕けていなくて、ニュアンスが違うかもしれませんがご容赦ください。


わたしは今日、身体が疲れきっていたことと(全力で遊んだからです笑)、明日は仕事なので非常に気持ちが落ちていました。それで、身体も動かないので、カードにいただいたキーワードについて考えていました。


とりあえず、まずは嬉しかった気持ちを並べてみようと思いました。そうしたら、なんか浮かんで来るのって、親族で集まってごはんを食べている時間とか、友達のうちに大人数で泊まりに行ったこと、いまの職場だったら、先輩のひとりが、わたしが帰るのを待っていてくれて初めて一緒に帰って、雪国トークで盛り上がったこと。そういう、みんながワイワイしている中にいる時間の嬉しさ、または、他人が「以前より自分を好いてくれているんだな」って感じる時間の嬉しさでした。


それでハッとして、そうそう、セッションの相談のひとつに「自分の成果を振り返らない、すごいと言われると距離感を覚えるから喜べずに避けがちだし、あまりそれを思い返さない」といったようなことを言ったのですが、その気持ちの正体はこれだなー!と腑に落ちました。


自分の成果が褒められたり認められたりすることも当然、嬉しいものなのですが、わたしの喜びはそれじゃなかったんだなーという素直な気付きです。嬉しい思い出って、自分の成果とは関係ないなっていう。それよりも、人と仲良くなっていくこと、たくさんの人がワイワイしている中に呼んでもらうことが、わたしの素直な喜びなんだと理解できました。


それはそれとして、今度は成果を並べてみました。それで思ったのは、成果があるからこそ好いて信頼してもらえることも多々あったということです。特に職場においてはそうですよね。だから、わたしとしては、成果を出すことを手段として、目的は人と親しくなっていくことにしたら、安心して働けるんじゃないかなーという感じです。そう思ったらかなり不安が取れてきました。


日頃から、他人の時間を無駄にすることを避けがちで、例えばこのブログなんかは長ったるい自分語りなのでTLで告知したくありません。他人の時間を無駄にしたら、相手から嫌われるんじゃないかと思い込んでいます。たぶん、自分が「時間は有限」だと強く認識しているぶん、無駄が嫌いだからこそ、周りもそうなんじゃないかと思ってしまうんですね。それで、人と話していても、そろそろ切り上げた方がいいのてみは?何が無駄に感じるかしら?これは無駄なトークになりそうだから、言わない方がいいよね、とか、思って黙ってしまうことが多いです。


でも、なにが相手にとって無駄かなんて、わからないですよね……そういえば。無駄を嫌う人かもわかりません。それに、わたしは人が好きで、人と親しくなっていくことそのものが好きだと自覚できたので、地雷かどうか怯えてなにも言わないよりは、「わたしはあなたが好きです、親しくなりたいです」っていうメッセージを伝えていく方が、ずっと実りあることなんじゃないかと思いました。


というか、これが恋愛だったら絶対そうですよね!相手の地雷に怯えてなにもしないよりは、本当に相手を愛しているのなら、相手がたとえ自分を嫌いだとしても、「わたしはあなたを好意的に思っています」という態度でいた方が良いです。自分も愛されたいという、見返りを求める利己的な押し付けがましさってわけじゃないです。ただ、自分に見返りがなくたって、あなたの人間性を好いていますという意思です。


それが恋愛だと出来るよな〜と思うんですが、なかなか職場の人たちにそんな意識はありませんでした。無駄を省かねば、雑談時間を省かねば、という気持ちが大きすぎて。でも、まあ、ほとんどの時間を共に過ごして、互いに迷惑をかけあいながら同じ成果に向かう人に対しては、そういった愛を向けていっていいよな〜と思いました。相手は自分を特段好きじゃなくていい、けど、自分は相手と良好な関係でいたいっていう態度でいよう、そう思います。無理にとは言わないけど、可能な限りは良好な関係で、喜びある時間を過ごしていたいですから。


いま思うと、きっと小さい頃から「みんな仲良しの空間(の一部にそっと加えてもらっている)」を望んでいたのかなと思います。生まれて初めて絵を褒められたことを今でも覚えているのですが、保育園で友だちの顔を描いていたら、先生に「すごい!上手い!」と言われて、それで他の子も集まってきてしまったことがありました。わたしはそうやって、自分に人が集まってくるのが嫌で(みんな思い思いに友だちの顔を描いていて、わたしもそこにそっと加わっている感覚が幸せだったので)、わざと最後に描いた鼻だけ適当に下手くそに描きました。そんな感じで、なにか褒められでもして、周りの和やかさを中断させるのが嫌だったようです。描きかけに群がられて恥ずかしかったのもあると思いますが。


たぶんそれほどに「みんな仲良し」への願いが強かっただけに、人間はそれぞれの価値観があって、場合によっては仲良くできない関係性もあるということへの気付きも早かったんだろうなと思います。少なからずショックだったはずで、そのショックを和らげたくて、いまも「価値観の相違による不仲」や「折り合いの付け方」をテーマに創作してしまうんでしょう。この辺りは自分でも、執着しているテーマだよなあと思います。ふふ、うけるね。


いろいろ脱線しましたけど、振り返ってこんな気付きがあったので、本当に良かったです。もっと昨日の夜とかも気付いて嬉しかったことがあったと思うのですが、今日はこの衝撃が強かったので書きました。んー、可能な限り、周りと親しくなっていきたいですね。親しくなりたい気持ちをオープンマインドの態度でやっていこうと思います。そうしたらきっと楽しい。


親しくなれない人もいて、傷付くこともあると思うけど、臆病で何もアクションせずに精神的にひとりぼっちで不安になっているよりずっといいです。そりゃ会社なので成果は重視するけど、わたしが成果を提供する代わりに、こっちだって多少わがままで、雑談したり楽しい人間関係を貰っていきたいです。機械じゃないし、成果を出すことやお金を稼ぐことは人生の手段であって、目的ではないので……。


ああでも筋金入りの無駄嫌いだから、また余裕がなくなると色々と排斥する面が出てきちゃうんだろうな。そんなときにこの記事を読み返して、自分がなにに心から喜ぶ人間なのか思い出してほしいです。今週も1週間がんばります。