「かわいそう」ってだけ
お久しぶりです。朝は胃カメラでしたが、特にいま切迫した問題は無さげなので、血液検査等の結果を待ちつつ、わたしは地元に帰る道中です。
唐突?って感じなんですけど、お盆はコロナも流行中だったし、自分も家族もワクチンを打っていなかったので帰省は避けたのです。で、9月には一度顔を出すから……と言ってたものの、ひどい繁忙期だったので今になりました。
この時期の長野は久しぶりです。こっちはまだ衣替えしていないので、明らかに寒いと思うのですが、1泊の弾丸なので頑張ります。中学生の頃、10/8に初雪が、それも吹雪だったのがウケて、学校帰りに撮ったプリクラがあります。で、4月まで雪があるじゃん?それほとんど冬なんじゃ???
おかげさまで年々雪は減ってきましたし、暖冬も増えました。小学生の頃は、太ももまである長靴を買ってもらったのに、学校に着くまでに靴の中が雪で濡れちゃって、もう本当にイヤ!って怒ってました。
除雪車が歩道に積み上げた雪が、2mくらいの山になっていて、ひとりで下校中、暇なのでそこに登っては車道に頭から落ちたりと、登下校もアドベンチャーでした。民家と民家の間にある、5mほどの長さの氷柱を取ろうとして、先端しか取れなかったり。対岸の歩道を歩く男子集団と、こっちは女子だけで、雪合戦の団体戦をしながら歩いて帰ったり。田舎なので車なんて走っていませんし、車道に落ちたと書いたけれど、アスファルトではなくそこもまた雪です。
雪国の思い出は、雪国の育ちの人と話せば当たり前の、なんでもない思い出話なのに、まるで積もらない地域の人と話すと、異世界のように聞いてもらえることが新鮮に感じます。関東に出てきて、二毛作を見て、ああー社会の教科書で見たな、現実にあるんだーと感動もしました。雪国の田んぼは、積もった次の日は本当に綺麗で、我先にと飛び込んで、足で大〜きなお絵描きをする遊び場です。
えーなんで雪国の話してるんだろう。
ブログを書かなかったのは、繁忙期社畜だったことだけが理由ではありません。今までのブログにあるとおり、半年ほどずっと得体の知れない恐怖感と不安と身体の不調苦しんでいました。ストレスのせいだと思って、それを言語化したいのもあって、ブログを書いていたわけです。
それがなんと、ある日、解放されたので、もうあんまり自分を振り返る必要がなくなったんです。それはたまたまだったのですが、謎の不安を払拭する言葉に出会いました。「かわいそう」です。
先週の日曜、相方のあきさんに遊びに来てもらって焼肉をして、日曜にもかかわらず夜遅くまで遊んでしまいました。それで、あきさんが帰ったあと、急にドッと不安になりまして……普段なら日曜っていったら朝からジワジワと不安で、寝る頃にはある意味腹を括っていたわけですが、その日は夢中で遊びすぎて、腹を括る時間がなかったわけです!
は、腹を括ってないのに明日仕事?!?!?!と思ったらもう大混乱で、何もかも無理だわ……明日仕事辞めよ……と思うほど急激に追い詰められたので、えーいこの際どう思われてもいいや!ヤケクソになってやる!と思って、たまたまハイビさんに「わ……わたしのこと可哀想って言ってみてくれない……??」とお願いしてみました。
ハイビさんもまあ素晴らしくコミュ力のある人なので、即座に、いかにも心底かわいそうに思う表情で、心をこめて「かわいそう……」って言ってくれたわけです。大感謝ですし、すごい対応力です。どこでも生きていけるんじゃないか。
いつもわたしが不安で落ちている時、申し訳ないことにハイビさんの励ましやアドバイスって心に届かないのですが、「かわいそう……でもさ、」に続くアドバイスはすっと心に入ってきて、それを全部聞き終わる頃には、確かにね!明日仕事ってだけで気にしすぎ!いーやもうちょっと遊びたいからスマブラしてから寝ちゃえイェーイ!という気持ちになっていました。
そこからわたしは今日までめちゃくちゃ元気です。不安も恐怖もないし、胃痛もほぼない。仕事中もタオルケットに包まれなくて済んでいるし、仕事以外の時間は不安で怯えて何もできなかったしやる気も無かったのに、今週は家事をしたりお絵描きしたりスマブラしたりと、好き勝手に楽しんでいます。すごいね〜!
仕事は相変わらずヘビーですが、全く気にならなくなりました。疲れたなとか、めんどくせーな、みたいな気持ちがあるだけです。とにかくまあ身体が軽くて、憑き物が落ちたような感覚です。
あとからひとりで振り返ってみたんですけど、なんとなくまず思い出したのは小1と小3の記憶でした。
小1の時は、男子にいじめられて泣いている女子がいて、それに対して「かわいそう」が半分、残りは「なんかやだ、なんか邪魔」って思っていました。ひどいね。
小3の時は終業式で「今年1年、一度も泣かなかった人」って先生が言ったとき、手を上げたのが自分しかいなくて「うわー男子もいるのにわたししかいないんだ、わたしすごい!まあでもフツー泣かないよね」って思っていました。
その2つが頭に浮かんで、よっぽど「人前で泣くこと=可哀想に思われること=周りから見てウザい行為」を自分がしてしまうのが嫌だったんだな〜なんて思いました。そもそもこう、「可哀想に思われること=ウザい、邪魔」っていう無意識の偏見を抱えていたなってことも。冷たい。
人間生きていれば可哀想に思われて然るべきシーンなんて多々ありますよ……そんな折々のタイミングで、可哀想だと素直に思われることを拒絶して、可哀想だと思われうる状態さえ避けるように努力してきたんだろうと思います。バカだ。
いつも自分ばかり自分を痛めつけるのなんなんだこれは、と思っていたけど、自分のことをウザい、邪魔だと思う隙を与えないように頑張っていたんでしょう。たとえば仕事の小さなミスさえ怯えていたのは、なにかをミスして注意でもされたら、「かわいそう」「ウザい」に直結すると錯覚していたからです。
それがわかって言語化出来たので、心から視界がクリアになりました。いや子どもじゃねーし、可哀想って思われていいよ。そういう状況ってあるじゃん。しかも「かわいそう」=「ウザい、邪魔」じゃないし、最悪そう思う人がいたとしても、ウザいとでも邪魔とでも思われて差し支えないですよ。なにか減るものある?
とか色々と振り返ってこじつけてみたけれど、真相はよくわかりません。でも多分これは生まれて初めて、親身な言葉で「かわいそう……」と他人に言ってもらって、地縛霊みたいになっていた今までの何か負の蓄積物が綺麗さっぱり無くなったのでした。とても不思議な出来事です。
こんなことブログに書くのも恥ずかしいしなんだかな……と思ったけど、もう1週間も経ったら他人事みたいになってきたので書きました。このブログは4pvくらいしかないから安心して書けます。強いて言えば、わたしは可哀想だと思われたくないキャラを作りがちという話を度々していたので、それについては非常に恥ずかしいです。キャラは語らない方が良い、自分の無意識にリンクした際の恥レベルが重すぎてうける。
いま新幹線の中で暇なのでこう自分語りブログをつらつら書いていますが、もう暫く必要ないでしょう。頭の中にあった不安と恐怖が無くなったから、楽しかったことや楽しみなことを考えるのに忙しくなりました。
あーでも本当によかったなー。直感でしかないけど、きっと小学生の時点からもう既に少しずつ蓄積していた不安の種だったと思っているので、それが無くなったのは大きな大きな収穫で、人生の転機に感じます。生温い環境を離れて、追い詰められる環境に移ってきたのにも、どうやら意味がありました。
人間のやばい部分は35歳までに治さないとずっとやばいまま熟成されていく、という説を(教訓としても)割と間に受けているところがあり、35歳までに自分をなんとかしなきゃ!と漠然と考えながら暮らしているのですが、またひとつ35歳以降に持ち越さなくて済むものが増えました。荒療治だけど……。
まだまだ自分のやばい面は色々と思い当たるので、良い中年になれるよう今はまだ色々模索したいと思います。どんな35歳になれるかな〜。その頃には社畜じゃなくなってて、お絵描きも沢山できて、漫画も描いて楽しんでいたらいいな〜!まだまだ修行ターンですね……無理なく楽しみたいと思います。