地味に頑張ること・恥ずかしいこと

 体調が良いのでパソコンで色々と作業をしています。あと性癖垢で描いている漫画のプロット(全7話)が出来たので気分が良いです。添付の漫画は全体公開用に改訂したものの1ページなのですが、「翌朝」というところのスズメの絵が素材だと思われがちなので、よく見てほしいです。頑張って描きました!



でも、本編中は読み飛ばしてほしい絵なので、描いたんだな〜と気づかれなければ大成功です。イラストもそうですが、漫画だと特に、見てほしくないところの方が一生懸命描いていたりしますよね。絵の中であまりにも画力や表現力的に変な部分があると、つい目がいってしまうので、見てほしくない、というか、感覚的に把握だけして読み飛ばしてほしい箇所をよく頑張ります。それでこのスズメも読み飛ばして良いところなのですが、頑張ったので、こういう裏話的な場所では「見て〜!」ってしてみました!


結構長いあいだ不眠症で、ネットで調べたので寝る前に深呼吸をしてみました。そこで思い出したのですが、保育園の頃の「おひるね」の時間、息をすると掛け布団が上下に動くのが恥ずかしくて、息を止めていました。なぜか「息をしているなんて恥ずかしい」と思ったんですね。今も呼吸が浅いというか、気づくと息を止めていることが多くて、もしかしたら一番最初のきっかけはそれだったのかもな〜と思ったのでした。でもなんで、息をしているのが恥ずかしかったんだろう?


保育園の頃といえば、保母さんの名前を呼ぶのが恥ずかしくて「ねえ」としか言えなかったり、ごはんを食べるのが遅いのにおやつをもらうのが恥ずかしくて我慢したり、妙に色んなことが恥ずかしくて辛かったです。何が、誰に対して恥ずかしかったのか謎です。でも、小学校に上がっても、風邪で休んだ翌日の朝、学校で「大丈夫?」って聞かれるのが恥ずかしかったり、算数の教科書で自分と同じ名前の人が登場する日が恥ずかしかったりで、そこそこ簡単な理由で学校に行けなくなっていました。


少しでも注目されるのが恥ずかしいっていう自意識過剰なんだと思いますが、ちょっと息さえも恥ずかしいのは行き過ぎなので、当時の自分に会ったら安心させてあげたいです。今もたまに職場などで、他人の仕草を見て「これって無意識にやってるのかな……」と思った途端に恥ずかしくなるし、テレビなどで他人が泣いているのを見ても「これって意識して我慢できないから涙が出ているのかな……」と思うと妙に恥ずかしいので、他所の人の無意識の行動を見たり、自分の無意識の行動がお外に出るのが恥ずかしいんだろうなあと思いました。いっそロボットになりたい……意図した行動、意図した感情しか見たくない……


なーんて思ったりもしているのですが、無理だと分かってからは気が少し楽です。養老孟司さんの本を読んでから、人間の体も感情も人工物ではなくて「自然物」だと分かり、むしろそれが好ましいなと感じるようになりました。脳から生み出すもの、建物や街は人工物です。また、建物や街に住む人々も、人工物の服を着ていて、自分たちを「人工物」だと思い込みがちだそうです。まさに保育園の頃の自分も、「自分さえも脳が生み出した人工物でありたかった人間」だったんだと思いますが、所詮「自然物」につき無理があるので、無理だとわかる本に出会えて良かったです。多分『いちばん大事なこと』に書いてあったような気がします。うろ覚えですが。


小学生の頃に父が「この世には2種類のものしかない、原因と結果だ」と教えてくれて、その頃は「すごい!そうかもしれない!分かりやすいし、色々思い出すと、絶対そうじゃん!」と思っていました。なんなら数年前まで「実際そうだよな〜」としみじみ思っていました。でも人間が自然物だと分かってからは、父の言っていたことは人間の脳にとって都合の良い、都市的な物の考え方だなと感じます。確かに仕事だって、原因と結果が概ねちゃんと関係性を持っていることを前提として進めていますが、乱暴に言えば机上の空論なんだろうと思います。


世の中に原因と結果しか無かったら、どれだけシンプルで考えるのが楽だろうなあと思います。私なんて白黒思考が強いので、そもそもグレーがあって、かつグレーが何段階もあって、とか考えるのが心底面倒くさいので、輪をかけて面倒くさいです。なにかシステムを設定し、合理的にできれば、それが一番美しいし楽で最高なことだと思うのに、自然物っていったらもう何もかもが無限大みたいな感じがするので、何も手に負えません。でもこの「面倒臭い」という気持ちを乗り越えたら、変な「恥ずかしい」に苦しめられることも減るんじゃないかと思います。息をするかしないか以上に、やりたいことってきっと他にあることだし。でもこうやって文章にして、少しずつ頭のもやもやに輪郭をつけるのは楽しいです。最近元気だし、またどんどん書いていきたいです。