「自分を責める」を巡ること
ひとつ前の記事で、あとはお絵かきをしたら最高だと思っていたのですが、よく考えたらもう描いていました。いつだっけ?ゲームする前に、switchの充電するのに暇だったので描きました。絵が上手くなりたくて、特に描きたい絵がなかったのポーマニです。
絵が上手くなりたいなと毎日思います。絵は良いです。出来ないことが無限に目の前に出てくるんですが、仕事じゃないので「今できていなくても自分を責めずに済む」からです。
そうそう、自分を責めると言えば、同じINFPの友だちとこのあいだ通話しまして、我々は臆病だしコミュニケーションが苦手でダメだな〜と思っていました。自分の発言が相手に引かれるかも、相手を不快な気持ちにさせるかも、とか思ったりして、簡単なお願いの一言も言えないわけです。ま〜それを「思いやりがある」「優しい」とかもいう訳ですが。
往々にして優しい、思いやりがある(かつ臆病な)タイプは、相手に言わずに色々と尽くします。気づかれなくて良いと思っているので、時に自己犠牲的になったりもするのですが。それで、時にそういうタイプは、相手の「楽しそうな姿」「機嫌の良さ」を「自分の気配りが生み出したもの」だと驕って、錯覚していないでしょうか?わたしは時折あります。
そういう驕りを抱えているからこそ、相手の「理由のわからない不機嫌」さえも「自分のなにかが生み出したもの」だと、自分を責めるんじゃないでしょうか?そして(もしかしたら自分のせいじゃないかもしれないのに、いつでも)自分を責めるから、人と喋るのが怖くなるんじゃなかろうか?と思ったのでした。
もうちょっと他人の反応を恐れないようになるには、「黙って相手に尽くしていること」を控えるとか、「相手の上機嫌や楽しさは、別に自分が作ったものと関係ないこと」だと身に染みるまで理解するとか、そういう工夫が必要そうです。「ふふふ、気づいてなさそうだけど実はあれ、わたしが用意してたのよね〜喜んでるみたい、嬉しい♡」みたいな喜びを、ちょっと減らして別の喜び方を作っていった方が良さそうだ。「実はあれ、私が用意したんですよね〜良かった?なんか飲み物おごってよ」くらいの図々しさを目指して良いかもしれません。
それで、やっぱり思うのは「1つを得るためには1つを手放さないとダメ」ってことです。特にこんな良い大人になってから「変わりたい」と思ったら、つい私なんかは「3つの良い性格を持っているけど、致命的な弱点があるから、もう1つ良い性格が欲しい!」と思いがちですが、3つを4つにするのは無理です。3つの良い性格のうち1つを手放さないと、もう1つの良い性格は手に入らないんじゃないでしょうか?
たとえば私はこのブログで何度も「自分を大切にする自分」を目指しては忘れて失敗していますが、いまの完成された私の性格じゃ、それを追加するなんて無理です。むしろ、私の持っている性格のひとつを手放すことが「自分を大切にする自分」を手に入れるための具体的な行動なんじゃないでしょうか。例えば「他人に尽くしまくる自分」を手放すってことです。じゃないと、普通に矛盾してんじゃん、どっちも持てるわけねーよ。
きっと、一旦ちゃんと「自分を大切にする自分」を習得したら、TPOに合わせて「他人に尽くしまくる自分」と交換して振る舞ったり、柔軟に出来ていくんじゃないでしょうか?理想かもしれないけど。でもな、性格の定まらない・環境が数年おきに変わる子どもと違って、もうここまで生きたら性格なんてものは「成長」とかなくて「変化(入れ替え)」しかないように感じます。
かくいう私は、10年前は「自分を大切にする自分」が1ミリもなかったので、割合が増えてきたほうだと思います。よく今も仲の良い人には「丸くなった」と言われるのですが、たまに会う人には「前の方が良かった」と言われることあります。そうやって、また性格の割合を入れ替えていったら、今後も仲の良い人って変わってくるんでしょう。わたしは長生きの出来る性格を目指して作っていくので、今後も仲良くしてくれる方には、ともに長生きして楽しく付き合っていってほしいなと思います。