他人と比較できない

 最近の一番の発見なのですが、他人と自分って真の意味で比較できないですよね。この年になってようやく理解しました。よくストレス耐性を上げる為に「他人と自分を比較しないこと」とか記載されているじゃないですか、なので、他人と自分を比較するのは当たり前のことだと思っていました。その上、出来ていると思っていました。


が、あくまでもそれって妄想上の他人であって、結局「妄想の他人像と自分を比較している」だけなんだと、心から腑に落ちる出来事があって、そもそも、比較するもしないも何も、出来ないことだわ……と理解できました。でも最近の大発見なので書いておきます。


なんか結構、自分は平凡で嫌だなあ……というのは、中途半端でぼんやりしていて嫌だなあと思っていて、その度に「徹底的にスピーディにやろう!」と目標を持ち、ちょっとやり過ぎて自滅することが多い日々でした。でも他の人も自分自身を平凡だと悩んでいたりしたよなと思い出して、結局おおよその人が自分を平凡だと知覚しているのかもしれないなと思いました。そうでなければ「自分は人よりすごい!」か、「人より劣っている!」か、比べていないかのどれかじゃないでしょうか。


そもそも「平凡」とか「普通」という言葉が、人の脳内によって全く物差しが異なる言葉だと思うので、私の思う「平凡」と一致する人はいないだろうと思います。同じ人生の人はいないので。そう思うと、なんとも虚ろな言葉だと思います。いや、自分が他人同士を比較するには使える言葉ですが。ただ、ひとたび「自分」がそこに含まれると、一気に意味をなくす言葉だと理解しました。定量的であれば比較できるでしょうけれど、身長とか。


しかも「他人と自分と比較しないようにすると良い」って本に書かれていると、比較できるものだと思っちゃうじゃん!いや、なにか定量的に判断できることで他人と比較して困っている人向けだったのかもしれません。なんだろう、フォロワー数とか友だちの数かな。


わたしの場合は「自分は他人と比べて平凡でつまらない人間」という、1ミリも定量的に判断のつかないことが気になっていたので、比較が不可能だとわかってすっきりしました。あとは「他人と比べて働いていない」「他人と比べて頑張れていない」あたりも比較できないので良かったです。わーよかった、職場復帰する前に理解できてよかった。


思うに、キャラ創作を子どもの頃からしていて、キャラ同士の比較が趣味なところもあって、他人と自分も比較できると錯覚してしまったのかもしれません。人間同士の関係性や社会について、俯瞰して見すぎていたように思います。創作している間、自分のポジションって神様ですしね。でも現実社会の神様なわけがないし、創作と現実を混同するのは危険すぎます。いや、文章化すると危険すぎるワードですね!でも、考え方とか物の見方において、創作と現実を混同することはあったかもしれない……?!やべー趣味です。


少なくとも、俯瞰していればいるほど、自分自身を軽視しがちになるのはよく分かっているので、自分視点で色々と見るように気をつけてみたいと思います。